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きらめく江戸の硝子の新世界

2015年08月03日山本ミッシェール

東京は江戸時代から続く硝子(ガラス)の産地です。江戸切子などの伝統と技術の継承が難しくなってきたなか、今回は硝子の新しい世界を広げたスペシャリストをご紹介します!

ビードロ?ギヤマン?ガラス?

江戸中期の硝子職人「彩画職人部類(さいがしょくにんぶるい)」

歴史を紐解くと日本では古くからガラス製品は色々な名前で呼ばれてきました。16世紀にヨーロッパからさまざまなガラス製の器が渡来し、ポルトガル語のVidro、オランダ語のDiamantを語源とする「ビードロ」「ギヤマン」という言葉が日本に伝わりました。ちなみに「瑠璃(るり)」「玻璃(はり)」はもっとも古いことばで、インドから中国を経て伝わったといわれています。

さらに現在使われている「ガラス」はオランダから伝わったGlasから来ています。なお、漢字で「硝子」と書いてガラスと読むのは、原料に硝石を使っているからなのです。
その後、長崎で始まったガラス製造は大坂、江戸や薩摩にその技術が伝わりました。今回は中でも「江戸切子」に焦点を当てます。

~江戸切子と薩摩切子~

伝統的な江戸切子 写真:木本硝子提供

切子というと江戸切子と薩摩切子の二つが思い浮かびませんか?見た目は一見とてもよく似ていますが、その成り立ちは実は随分と違います。

西洋のカットグラスが日本に持ち込まれたのは鎖国時代。18世紀の末ごろにはカットガラスのことを「切子」と呼び始めました。そして江戸時代後期には、江戸切子も薩摩切子もどちらもガラス工芸品としてすでに花開いていました。

簡単に説明すると、江戸切子の特徴は透明な硝子に色硝子を薄く被せ大胆で深く鮮明にカットをほどこす特徴があります。そして薩摩切子は厚い層の色硝子を被せてカットすることによってカットした断面に淡いグラデーションが出来る特徴があります。

~途絶えた切子と続いた切子~

復刻された薩摩切子   写真:PIXTA

薩摩切子は弘化3年(1846)に薩摩藩第10代藩主の島津斉興が、江戸のガラス職人を招き長崎などから伝来した外国のガラス製造書物を元に製造を開始、11代藩主島津斉彬の保護のもと藩の事業として製作されていました。そしてそれらは海外との交易品として用いられたり、大名や公家、将軍家への献上品として利用されてきた観賞用の美術工芸品でした。

しかし島津斉彬の死(1858年)とその後に起こった薩英戦争(1863年)の際にガラス工場が消失してしまったため技術はたったの20年ほどで一度途絶えてしまいました。1989年(平成元年)、に復刻されてから現在は復元が中心とされています。

江戸切子は薩摩より12年早く、天保5年(1834)に始まりました。江戸切子は薩摩切子とは正反対の実用性の高い美を追求した庶民が庶民のために作る日用品でした。また1873年(明治6年)には、明治政府の殖産興業政策の一環として品川興業社硝子製造所が開設され日本での近代的な硝子生産の試みが始まりイギリスから御雇い外国人としてカットグラス技師エマヌエル・ホープが招聘されたことで技術はますます近代化が進みました。なお、戦時中も作るものを時代に合わせてきたことで現在に至るまで技術が途絶えることがなく継承が続けられてきました。

~消えかける江戸切子~

しかし、現代になってからの江戸硝子生産はぐっと落ち込んでしまいました。数千人いた切子職人たちも今は100人ほど、、、海外の安価な輸入製品に押され、問屋や吹きガラス工場の廃業に加えて職人の高齢化や後継者不足とたたみかけるように硝子業界は厳しい状況になってしまいました。

またかつては庶民が庶民のために作っていた日常使いだったはずの江戸切子も値段が高騰したため食卓から飾り棚へとその居場所を変えてしまいました。

~消えていった職人たち~

「木本硝子」の木本誠一代表取締役

いま、硝子業界が存続をかけて試行錯誤する中、新しい風を吹き込んだ会社があります。1931年から浅草でガラス問屋としてスタートし、現在は硝子商品のプロデュースやオリジナル商品の開発で注目を集めている「木本硝子」の木本誠一代表取締役にお話を伺いました。

「むかし、大手スーパーから外国製のクリスタルなど食器をお客様に安く提供したいという話があり、自分自身でチェコやルーマニアの工場から直接食器を安く買いつけていた頃がありました。これがあたって本当に良く売れました。

でもある時、自分のまわりを見てみると、自分が手がけた手が届く値段で提供し続けた海外の有名ガラス食器や、大量生産されたガラスが市場に増えた一方、コストも時間もかかる手作りをする切子職人たちや町のガラス工場はどんどん廃業していました。その時、もしかして自分がやってきたことは地域をそして硝子職人たちをつぶしてきたのでは?と考えてしまいました。」

そこで木本さんは大きな決断と方向転換をしました。

~守りから挑戦へ~

木本さんはまず古くから地元で取引があった職人さんたちと協力して新しい切子を作ることに情熱を燃やしました。しかし、最初に作った切子硝子はまったく売れず限られた層の顧客にしか支持されませんでした。

その時に「とっても良いものだとわかるけれど、私はほしいと思わない」と言った若い女性の一言から木本さんは大きく方向転換をしました。「現代の生活の中で古風な江戸切子は似合わない。もっと時代にあったスタイリッシュで従来のガラス製品にはない新しい商品を考える必要に気がつきました。」

~世界を驚かせた漆黒の切子~

木本硝子の「KUROKO」シリーズ

この頃から木本さんはプロデューサーとなり消費者と職人をつなげたものづくりをするようになりました。グラフィックデザイナーを起用して今まで江戸切子にはなかった新しい発想と世界観の「黒い江戸切子」をプロデュースしました。

しかし内側には透明なガラス、外側にミクロン単位の薄さの色硝子という被せガラスになっている江戸切子のなかで光を通さない漆黒の江戸切子を仕上げるのは至難の業でした。そして2年がかりで成功した黒い江戸切子は国内外から高い評価を得て新しい江戸切子のあり方を確立しました。

~伝統を進化させる~

人間工学に基づいたフォルムの「es」シリーズ 木本硝子

「今に合ったデザイン、新しい世界にしたかった」様々なデザイナーと仕事をしながら木本さんは江戸切子に新しい未来を与えただけでは飽き足らず今は日本生まれのお酒やワインの味や香りを最大限に引き出し、そして女性の手にもなじみやすく、使っておしゃれで安心な日本製のグラスなどもどんどんと開発をしています。

「器を変えると演出が変わる、空気が変わる、主役は人間や食べ物、飲み物だけれど器を変えることでまったく違う世界が作れるのは器が持つ力と美しさだと思う」とガラスの可能性をさらに進化させています。

~楽しむことを忘れない~

「funew(ふにゅ)」 funとnewの造語。木本さんのアイディアでこれまで再利用ができなかったワインボトルやシャンパンボトルを江戸切子の職人たちの手でトレーやコップに生まれ変わらせています。

インタビューを通して木本さんからは明るさと楽しさがたくさん伝わってきました。
「職人にはもっと新しい仕事を、お客様には新しい感激を、そして携わるデザイナーや自分たちには新しい楽しさを」と話す木本さんからはいろいろと楽しい計画をたくさん伺ってきました!

なんだか江戸の硝子から明るい未来が見えてきました!
皆さんも見かけたらぜひ手にとってみてくださいね!

取材協力:

スタッキングが出来るかわいい江戸切子 nect 木本硝子

木本硝子株式会社
東京都台東区小島2-18-17
03-3851-9668
10:00~17:30
定休日:水曜日、土曜日、日曜日、祝日
ホームページ
http://kimotoglass.tokyo/company.html


山本ミッシェール

yamamoto michelle

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元NHK記者。現在NHK国際放送局のアナウンサーとして活躍。「Science View」では全国を駆け巡り、日本の技術力を支える「匠」を世界にリポート。アメリカで生まれ、幼い頃からイギリス、フランス、ドイツなどで海外生活を経験。国際的な感覚をもちながらも、日本の伝統的な「和の美しさ」に対する関心は高い。記者時代に過ごした京都をはじめ、日本の伝統美の取材を独自で続けている。その他、コミュニケーション指導として、桜美林大学講師、各企業での講演会等でも活躍中。
著書「見るだけ30分!!あなたに合った「聞く」「話す」が自然にできる!」(すばる舎)

関連リンク: ミッシェールのスマイル・カフェ(ブログ)


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